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チューチョは1933年1月、メキシコの港町ベラクルスで生まれる。
幼くしてメキシコシティへ移り、下町のテピートにて育つ
。父はクラシックのギタリスト、祖父は壁画家という文化的な血を引き継ぎ、幼い頃からギターと歌の上手な少年として育つ。
メキシコの少年の多くが持つ、憧れのヒーローである闘牛士をめざし専門的に学ぶが、音楽への夢も捨てきれず、
4歳年上の兄ホセと共にデュオを組んでセミプロとして演奏もしていた。
その後、音楽を通して知り合った友人と3人でトリオを
組むことになる。
(写真:右がチューチョ) |
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ケネディー、ジョンソンに愛された
トリオ・デルフィネス(3匹のいるかたち) |
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ホワイトハウスで:ジョンソン大統領(中央後ろ)と共に。
前列左にいるのがチューチョ |
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| トリオ・デルフィネスの栄光の歴史 |
トリオ・デルフィネスは1952年に、チューチョの兄ホセと友人レナルド・サモレノの3人で結成された。
メキシコの最大ラジオ局XEWが主催する、セミプロのための“プロの登竜門”であるコンクールに出場し、
見事第一位を獲得。
そして、「トリオ・デルフィネス」という名をそのラジオ局の社長に命名され、輝かしいプロの道を歩み始めた。
メキシコで人気グループとなった彼らは、中南米各国を公演し、大成功を収める。
彼らの人気と実力の程は、当時メキシコを訪れた世界各国の王族のレセプションなどで、
数え切れないほど演奏をしたということからも伺える。
また、メキシコ大統領のお供でアメリカ合衆国ホワイトハウスや大統領私邸に何度もよばれ、
当時のアメリカ合衆国のケネディ、ジョンソン大統領の前で演奏するなど
、まさにメキシコを代表する実力グループとして活躍した。 |
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日本へは1964年に初来日。全国公演をし大好評を博す。
以後毎年のように来日。ステージ・TV・コマーシャルなどで活躍し、音楽ファンの支持を得る。
また、日本の要人・皇族方の前でも、何度も演奏した経験を持つ。 |
1964年初来日のステージから
(撮影:相沢氏) |
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メキシコ国内の一流ミュージシャンはもちろんのこと、
ナット・キング・コール ハリー・ベラフォンテ エディー・フィシャー
ドメニコ・モドゥニョ カーメン・キャバレロ ペレス・プラード
などなどの、世界の第一線のミュージシャンたちと数多く競演。
中南米各国はもちろんのこと、アメリカ合衆国、ヨーロッパ、旧ソ連などでも公演。大好評を得る。
発表したLPの数も40枚以上にのぼる。
ナット・キング・コールとラテン音楽のLP(今はCDとして販売)を録音するなど、世界的に活躍。
1987年、兄ホセが腎臓を病んで、トリオは解散。
以後「チューチョ・デ・メヒコ」と名乗り、活動の場を日本に移し、ソロのミュージシャンとして活動を始める。
トリオを解散した今もなお、メキシコのラジオの音楽番組から、「トリオ・デルフィネス」の歌声が一日に何度も流れているが、彼らの解散を惜しむ声はいまだに高い。 |
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東京のホテル・ニュー・オータニでのレギュラー演奏も、
1988年以来、17年続くなどチューチョのソロ演奏家としての実力も高く評価されている。
また1998年より音楽教室アカデミア・デ・チューチョを
開き、ラテンアメリカの音楽と文化を普及し、後進の奏者を育てることに力をいれている。
チューチョはギター、アルパ(ラテンハープ)での弾き語りを中心に、演奏活動をしているが、2000年5月にマリアッチスタイルのグループマリアッチ・ロス・コンパニェロスを結成、活動の場を広げている。
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2008年10月、東京の世田谷区下北沢に、本格的メキシコ料理と高い実力派のミュージシャンの演奏を聴かせる店『テピート』を開き、ラテン音楽の新たな発信地として、ラテン音楽ファンの熱い視線を浴びている
チューチョの演奏をお聞きになりたい方はこちらへどうぞ |
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2000年5月、日本にマリアッチスタイルのグループを結成
名実ともに日本を代表する
実力派マリアッチ
メキシコ大使館、一流企業のイベントなどで数多く演奏その実力は高く評価されている。
たまごっちのTVCMや資生堂のラジオCMなど好評を博す |
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| アルパ・ラテン音楽教室 アカデミア・デ・チューチョ |
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チューチョは「アルパ教室」「中南米の楽器などの教室」
『アカデミア・デ・チューチョ』を主宰しています |
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